障がいを背負った人生は、僕自身がデザインする
初めまして、ゆうぞうと申します。
さっそくですが、僕は眼に障がいを持った障がい者です。
網膜色素変性症という進行性の視野障がいで、毎日少しずつ進行し、徐々に視野が狭くなっています。
この病気は指定難病に認定されており、現在の医療では治す事ができません。
そんな不治の病を背負った僕ですが、今大きな挑戦に向けて活動しています。
それが、
「フリーランスとして独立し、自立する事」
です。
なぜ僕が”独立を目指す”という選択をしたのかについてお話したいのですが、このお話しには、何種類かの業態が出てきます。
それ自体を否定している訳では無い事を、最初にご理解いただきたいです。
障がいを持った僕が独立を目指す理由は、2つある
そもそもなんですが、僕は学生時代から
「なぜみんな会社に就職する事が目的なんだろう」
と思っていました。
学校の先生からは、「今のあなたの成績なら、ここに就職する事も夢じゃないし、進学してもっと良い企業に就職できる可能性もある」と言われました。
当時から捻じ曲がっていた僕は、どうして僕の人生の選択肢は”企業に就職する一択なのだろう”と、真剣に悩んでいましたね。
そんな”一般的常識への抗い”から、当時ギターに熱中していた僕は「ギターで飯を食う」という道を選び、上京しましたが、コテンパンに打ちのめされて地元に帰ってきました。
地元に帰った後は、一般企業に就職しました。
でもこの就職は、“僕に自分で稼ぐ力が無かったから仕方なく就職した”に過ぎません。
会社に勤めながらも自分で稼ぐ力を身に着ける為に、勉強していました。
なんとか時間を作って勉強して、知識・スキルを身につけて、今ようやく準備が整った。
これが、理由の1つです。
もう1つ。
僕は最近ニュースで性風俗店で働いている女性の特集を見る機会がありました。
その女性は、お金に困っていて、お金の為に性風俗店に勤めているという話でした。
そして、その女性は性風俗店で働く間に、妊娠してしまったそうです。
「誰の子供かもわからない子供を」です。
中絶するのにもお金がかかる為、その女性は産むことを決意したそうです。
ただ、自分のお腹にいる赤ちゃんの事をその女性は
「異物。エイリアンに思える」
と言っていました。
その女性の希望もあり、産んだ子供は預かり施設で受け入れられる事となり、赤ちゃんは女性の元を離れ、施設で”親なし”という事で育てられる事となりました。
女性がインタビューで、「もしこのような施設・サービスが無かったらどうしてました?」と聞かれて女性が答えたのが、
「恐らく自分の腹部を刃物でメッタ刺しにして死んでいました」
でした。
このニュースが全て真実を語っている訳ではないと思いますし、ある程度は脚色が入っているとは思います。
ですが、この話を聞いた時に僕が、とても強い衝撃を受けたのも事実です。
ここまで極端な例では無くても、お金が無いから仕方なくやりたくない仕事、売春、買春をしている方が多くいる事を知りました。(好きでそうしている方を否定している訳ではないです。)
”僕はまだ自分でお金を自由に生み出せません。”
ですが、身をもってお金を生み出せるようになり、これまでお話したような方々が、自分の力で稼げるようになり、「自分のやりたくない仕事をお金の為にやらざるを得ない」という呪縛から、解放してあげたいと思っています。
もちろん全ての人が稼げるようになるとは思っていません。
ただ、一人でも「自分の人生を自分で選べるようになってほしい」と思っています。
これが、2つ目の理由です。
人生に迷ったら、僕を見に来てください
僕は今、進行性で治せない障がいを背負いながらも、なんとか知恵を振り絞って自立しようとしています。
もしあなたが自分の人生に迷ったり、落ち込んだり、人生を諦めようと思ったときは、僕を見に来てほしい。
その時は、僕の障がいが今より進行して弱っているかもしれない。
眼が見えなくなって盲目になっているかもしれない。
でも、僕は必ず前を向いて、自分の人生をどう生きるか、自分で自分の人生をデザインしているから。
きっと、あなたの方が僕よりはるかに優秀だし、生きる選択肢も多い。
それでもまだ自分で人生を選択できないときは、
「一緒に考えよう。一緒に人生をデザインしよう。」
なぜなら、これが僕が選んだ道であり、夢でもあるから。
-ゆうぞう-